近代美人版画の流れ

講師 松山龍雄(『版画芸術』編集長)
日時 2000年5月19日(金)
..この度、阿部出版とオランダのホテイ社の共同企画により『おんなえ 近代美人版画集』を刊行しました。
その最初に出てくる美人版画は、石井柏亭の『東京十二景』です。 柏亭は明治40年に美術雑誌『方寸』を
山本鼎らと創刊し、そこから自画・自刻・自摺をモットーとする「創作版画」の運動が始まるという端緒を
築いた洋画家ですが、洋行のための資金稼ぎとしてこの連作を企画しました。しかし、これらは作家自ら彫
って摺ったわけではなく、浮世絵の分業方式で制作しています。東京の風景と近代の女性を組み合わせた作
品ですが、意識としては洋画と浮世絵を混合させたような雰囲気を出しています。皮肉なことに一端衰退し
た浮世絵のあとに、彫師、摺師、絵師という分業スタイルで制作された最初の作品が石井柏亭だったのです。
大正4年になると渡辺庄三郎が「新版画」の活動を始めます。美人版画としては洋画家・橋口五葉の「浴
場の女」が第1作となります。 五葉はこれ以降渡辺とは別れて、自ら 彫師、摺師を抱えて制作を始めてい
ます。大正9年の「髪梳」には、浮世絵美人画よりもラファエル前派など世紀末絵画の影響が見られます。

..大正4年には関西画壇の北野恒富がキリンビールの美人画のポスターを描き、これが評判を呼んで7万枚
刷ったといわれています。そして美人版画で『郭の春秋』という4点組を刊行しています。これは今回の画
集で初めて4点の図柄が揃ったのではないかというほど珍しいものです。版元の中島青果堂とは 石井柏亭
の『東京十二景』と同じところです。文献資料によると、刊行年は大正4年と7年の二通りあります。
関西系の画家で渡辺の新版画と同時期に美人版画を制作する人がいたということはまさに驚きです。この
作品は500部刊行という割には今まではほとんど世に出て来ませんでした。続いて関西では、佐藤章太
郎という版元から、大正14年に吉川観方、三木翠山の美人画が刊行されます。関西で刊行されたものは
これからまだ他に出てくる可能性があります。

..渡辺版では、五葉に続いて伊東深水が大正5年に新版画第1作となる「対鏡」を制作します。庄三郎が
鏑木清方の画塾展を見に行って、当時二十頃の深水に目をつけて作らせました。この作品には高価な本紅
を使っています。それは海外への販売を考えていたからでしょう。しかも特大版で値段も一枚5円と高い
のです。
..大正末期から東京・大阪でダンスが大流行します。昭和元年には断髪のモダンガールが新風俗となり昭和
2年になると早くも大阪でダンスホールが禁止になります。昭和6年には華泉と成田守兼のエロティックな
作品があります。
..鳥居言人は鳥居派8代清忠ですが、昭和5年の「朝寝髪」という作品が発禁処分を受けています。70部摺
られ発売後警視庁に没収されます。櫛が落ちていて性交を連想させたかも知れませんが、昭和5年の当局に
は危険だと感じられたのです。
..小早川清も昭和5年に『近代時世粧』6点組を刊行しています。モデルは浅草の芸者や 断髪のモダンガール、
カフェの女給たちです。この時代のカフェとはただの喫茶店ではありません。現在の風俗店に近いようなピン
クサービスを売り物にしていました。
..昭和10年刊行の洋画家・石川寅治の『裸女十種』というシリーズでは、美人版画の中に西洋画のヌードを
持ち込んでいます。ヌードの女性が部屋で本を読んだり、猫と戯れたり、インコと話をしたりというシチュエ
ーションなんですが、これが意外に新鮮で面白いモチーフになっています。
..しかし、美人版画はほぼこの時代で終焉します。あとは挿絵の中でしか流行らなくなり、その中から何点か
が版画化されていくばかりです。やはり戦前をもってこうしたある意味で優雅な「大衆文化」は消滅する以外
に道はなかったのでしょう。

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