長谷川潔の銅版画ー作品の中に見出されるもの

講師 猿渡紀代子(横浜美術館学芸員)
日時 1999年 7月 23日(金)
...長谷川潔は木版画で雑誌の表紙を飾る仕事によって版画家としてのスタートを
切ったが、1919年フランスに渡ってからは、日本で本格的になし得なかった木
口木版や様々な銅版技法を手がけた。
...1920年代初頭のオー・フォルト作品には主題の点でセザンヌやゴッホなど印
象派への傾倒がみとめられまた堀口大学詩集のための挿画を中心とする木口木
版画にはロマネスク彫刻の造形との関連がはっきりと見出される。
...1920年代半ばには『日夏耿之介定本詩集』の挿画をオー・フォルトと木口木
版で制作するが、それらの画像は錬金術的な隠喩に満ちている。
サロン・ドートンヌの正会員に選出された1926年に長谷川が同展に出品したポ
アン・セッシュの大作「海の星(ひとで)」はほとんど描線だけで表現した象徴
的な裸婦像が高く評価された。
...この頃長谷川は最も古い銅版技法ビュランの名手でもあった。7年の歳月をか
けて完成させた仏訳『竹取物語』(1933年)は、平行線のみの線描による象徴的、
装飾的な挿画に彩られている。その典雅な表現は長谷川の大森時代の友人
林古径の「竹取物語絵巻」(1917年)と共通する要素をもっている。
...第二次世界大戦中もフランスにとどまり過酷な状況に耐えた長谷川は、戦後し
ばらくして、制作を再開し、「窓」と「樹」を主題とする一連の作品中に制作姿
勢を表明している。1952年、マニエール・ノワールの作品が15年ぶりに制作さ
れたが、その技法は自ら編みだした交差線下地ではなく、伝統的な細粒点刻によ
るものであった。そして1958年から最晩年まで長谷川はマニエール・ノワール
の静物画を専ら制作するようになる。
...例えば「小鳥と胡蝶」(1961年)や「狐と葡萄」(1963年)には、神秘主義的性
格をもつ17世紀のスペイン静物画に通じる造形的特徴を見出すことができる。
「幾何学円錐形と宇宙方程式」(1962年)には敬愛する宇宙物理学者へのオマー
ジュがこめられ、「コップに挿したアンコリの花」(1965年)では自然と芸術に
おけるリズムの問題が語られている。また、この時期のマニエール・ノワール
静物画においてはロマネスク美術にさかのぼるルート2の構図が適用されている。
...長谷川の自然や宇宙に関する思索が静物画の形を通して表現されたマニエール・
ノワールの作品も謎に満ちた「横顔」(1970年)で最後となった。それは、東洋
と西洋を超えて宇宙の摂理と直接結びつこうとした長谷川の芸術そのものを象徴
しているかのようである。

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