明治末期から大正はじめの日本の版画

講師 西山純子(千葉市美術館学芸員)
日時 1998年 11月 13日(金)
...千葉市美術館では、明治末期から太平洋戦争後までの日本版画を、10年ごと
に集めて検証する『日本の版画』と題するシリーズ展を企画し1997年秋より
開催している。この企画に関連して、本発表では1900年代と1910年代という
ふたつの時期をとりあげ、日本の版画をめぐる状況がどのようなものであった
かを考えてみたい。
...1900年代の絵画界では、洋画や日本画といった既成の枠組みが意味をなさ
なくなり、応用美術への関心が高まるなか、それまで特殊な分野であった版画
に光があてられた。また印刷文化の隆盛がそれを飾る「絵」の需要につながり、
夥しい数の作家を「版」の世界に送った。たとえば浮世絵派は単に衰退期にあ
ったわけではなく、雑誌や書籍の口絵という舞台を得て水彩画風の精緻な木版
画に活路を見い出した。多色石版(クロモ石版)を用いたポスターの流行もこ
の時期のことであるが、油性インクの重なりが独特の魅力的な質感を生み、
1900年代を代表する「版のかたち」となっている。雑誌『明星』や『ホトト
ギス』に目を向けても、版ならではの表現力を意識した斬新かつ自由な造形が
顕著になって来ている。このように印刷と手仕事が競ってリアルな造形を求め、
多彩な表現が生まれて来るなかで、はじめて山本鼎の「農夫」に始まる「自画
自刻自摺」の創作版画が誕生したことを改めて確認しなければならないだろう。
...一方、1910年代の版画はというと、ムンクやルドン、ビアズレーといった海
外作家の圧倒的な影響下に展開した。彼らの刺激的な造形が「個」や「生」を
尊ぶ思想と結びつき版を刻むという触覚的な喜びとともに非具象的な造形へと
導きヒュウザン会や日本版画倶楽部 、『月映』グループなどに属する夥しい作
家と作品を生んだのである浮世絵の系譜にもその動きは伝わり総じて先鋭的
完成度の高い一群の誕生となった。この黄金時代はしかし版画(特に創作
版画)が陥りやすい ’罠 ’- 偶然の効果に多くを委ねた構成やアマチュアゆえ
の運動感・生命感の獲得、プリミティフであるがゆえの魅力- をも露呈すること
になった。束の間で版を離れる作家が多く、創作版画の ’種まく人 ’山本鼎が
「ブルトンヌ」(1920年)をほぼ最後に版画から遠ざかるのは象徴的である。
そのなかで、版画の諸問題を克服し、新たな段階に進んだ数少ない作家に恩地
孝四郎がいる。描く対象を整理し版画とい制約を逆に表現力とし偶然の効果
によらず素材と心情との融和を求めよと説いた彼の姿は、1920年代の新たな展
開を予感させるものである。

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