竹久夢二から創作版画へ

講師 山田俊幸(帝塚山学院大学文学部教授)
日時 2001年3月30日
...以前、千葉市美術館で行った『日本の版画 II』に「創作版画の揺籃期」という一文を寄せた。
その中では新見解として、竹久夢二のコマ絵集『春の巻』が、刊行当時は「木版画」として認知され
ていたこと、それがどうやら創作版画の誕生に重要な意味を持つだろうことを指摘した。その根拠と
したところは『方寸』同人の夢二画集評で、明治末に版画に興味をもっていた 『方寸』グループが、
夢二のコマ絵集に「木版画」を見ていたのだ。これはあまり指摘されてこなかった事実で、とりわけ
「版画」意識の創成を考えるには興味深いものだった。ただその後、この視点は問題になってもいな
いようだ。あらためていようだ。この機会(版画研究会)に詳しい後付けをする。
...最近の版画の歴史の組み替えのなかで、松涛美術館の『創作版画の誕生』では新しい見方として、
創作版画の先駆けとしての富本憲吉、南 薫造の二人が登場した。展覧会テキストには反映できなかっ
たが、この視点は富本憲吉記念館の山本茂雄さんとともに、長い間考え、話していたことだった。そ
の視点に松涛の瀬尾典昭さんが共鳴してくれた結果がこれだった。長いこと私は、山本 鼎ら『方寸』
グループの版の考え方には、「新しい時代」の「版」の意識を感じられないでいた。彼等の初期の仕
事は、リプロダクション(起こし)優先の仕事で、そこには新しい時代の「版」表現に繋がるものを
見い出せなかったのだ。長谷川 潔、恩地孝四郎、田中恭吉などの仕事に、『方寸』の画家たちは繋が
っていなかった。そんなとき、富本や南の仕事を知り、『方寸』ー 創作版画という図式を、一度外し
てみよう、という気になった。そこで「富本・南」ー 創作版画という見取図を描いてみたのだ。この
視点は松涛の『創作版画の誕生』で実現し、さらに幸いなことに、千葉の『日本の版画 』でも、
西山純子さんの論に発展的に受け入れられた。これは人から聞いたことだが、オーストラリアでの日
本近代の版画展のカタログにも受け継がれたらしい。
 ただ、富本・南の仕事が、直接、創作版画に流れていくわけではなさそうだということも、これは
しばしば感じることだった。そんな中で、『方寸』に記された「 夢二コマ絵」ー「木版画」説は魅力
的だった。実際、 夢二のコマ絵を真似た絵がこの明治末から大正初めにかけていろいろと描かれてい
る。それは、俳画の彫りなどのように細かい造形表現を使わないでいい彫りだ。アマチュアの手習い
でも初期夢二の固い人物表現は真似できる。恩地など『月映』グループはそうした夢二の展開の時期
に、夢二と交流をもっている。コマ絵による木版画表現は、夢二の場合はやがて画集『艸 画』へと
表現主義的に展開していくことになる。夢二のコマ絵の展開は 『月映』の表現主義的造形と時代的に
クロスしているのだ。もっとも、ここでは鶏が先か、卵が先かという問題は残ってしまう。 コマ絵の
表現主義的展開を夢二が誘引したのか、『月映』の画学生グループが夢二を誘引したのか。とりあえ
ずはその答えを留保して、その双方に『白樺』あるいはフューザン会グループからの同時代的影響の
あったことも指摘しておかなければならないだろう。『白樺』も自画の起こしを版画で行った雑誌だ。
この周辺を調べることによって、夢二の創作版画への寄与はより明確になるにちがいない。

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