野外展覧会の隠れた絵画 ジョセフ・ラヴ

私は絵の勉強のために1965年から2年間、ニューヨークに住んでいた。毎週毎週、
美術館や画廊を訪ね歩いて、いわゆる「純粋美術」というものがどんなものか充分に
見当もつき、人間が何かを作り上げたり、表現したりする創造性というものに目を見
張るばかりであった。

私は若い頃から、美術というものを万物の創り主である神の仕事への参加としてとら
えていた。つまり神は幸いにもその仕事を未完のままにされ、残りを人間が自分自身
の方法で、自由に完成させられるように配慮してくださったのではないかと考える。

しかしニューヨークの美術はひじょうに水準の高いものであり、知的なものでもあっ
たので、一般の人々が楽しむことなどできそうもないように思われた。とくにスラム
街のような地域に住んでいる人々は、どんな形にせよ、「美」などというものをいっ
さい拒絶するような状況の中で、暮らしているのであった。

その周辺には木も草もなく、昔は立派だったかもしれないアパートも、今では見るか
げもなく無残に汚れ、くたびれ果てていた―

マンハッタンの下町の一角はちょうどこのような所であり、プエルトリコ人達が住む
アパートや、彼等の働く薄暗くて空気の悪い縫製工場などが立ち並んでいた。が、私
は、その辺りの壁に書かれたさまざまな落書きが近代美術館に飾ってある絵にも負け
ないほど美しいことにふと気がついた。いったいこの傑作の作者は誰なのだろうか。

たとえば、新しいビルの基礎工事が行われている間、その周囲は板塀で囲われている
のだが、その壁面に誰かがポスターを貼る。すると、それを見つけた建設会社の人が、
それを上からグレイのペンキで塗りつぶしてしまう。すると、その上にまたポスター、
またペンキ.....。そのうちに誰かが、その何層にもなったポスターをわざと引きちぎる。
と、そこにはピカソが大喜びをしそうな抽象画のコラージュが現われる、というわけだ。

また他の場所では、子供達がスプレイ式のペンキの缶に、まだ少しペンキが残っている
のを見つけてきて、真っ黒い鉄の扉やレンガの壁に勝手な絵や文字を吹きつける。こう
いう落書きが削り取られたり、時間や風雨などによって薄れてくると、誰かがまたその
上に新しい落書きをする。こうしてできた複雑な色と形がこのなんの変哲もない壁に意
味をもたせ、生きたものにする。


 絵や彫刻の世界では表現主義の時代はもう終わったようだが、そんな芸術上の言葉な
ど聞いたこともない子ども達が、ひとりで、あるいはグループで、この表現主義を独自
に行っているのだ。

 私は自分の住んでいた下町で、こういう壁の写真を撮って歩いた。私が写真を撮って
いると、人々は気違いでも見るような表情で私を見つめた。しかし子供達は違っていた。
子ども達にカメラを渡して、「ファインダーを通してあの壁を見てごらん」と言う。
すると彼等らは、「すごーい」と感嘆の声をあげた。

 子ども達にとっては街中が野外美術館なのだった。入場料はいらず、ただ何かを見つ
けようと、目を見開いていればよいのだった。教育というものが多くの人から、この
「見る」ということを奪ってしまうのだが、この貧しい子ども達は、キリストが「幼な
子の眼」と呼ばれた、澄んだ偏見のない目をもっていた。

 私はこういった写真を全部スライドにし、まず自分の住んでいたアパートの近くにあ
る高校のクラスで見せた。その前にラファエロ、レンブラント、ミケランジェロなどの
スライドを見せたのだが、彼らが一番気に入ったのは、この野外美術館のさまざまな壁
だった。この壁が少年達に一番強い印象をあたえたのだ。

 私が「この絵は全部、ここから百メートルくらいのところにあるのに、君達は気がつ
かないで、毎日その前を通り過ぎているんだ」と言うと、彼らは信じられないような驚
きの顔をした。そして次の週になると、少年達は次から次へと私のところにやってきて、
「あの、ポスターが引きちぎられた壁を見つけました」「あのレンガの壁の上に、また
誰かが落書きをしたので、もっとすてきになりましたよ」などと言った。彼らは私の意
図を完全に理解したのだ。

しかし、誰もがこういったうつくしさを理解できるわけではない。ヨーロッパを旅した
時のことだった。ドイツのフライブルグ大学で友人のところに泊まり、その友人と大学
の教授といっしょにストラスブルグまでドライブをした。車を降りてカテドラルの方へ
歩き出すとすぐ、すばらしい壁を見つけた。ここのは古い建物の側壁で、何百年もの間、
風雨にさらされ、人間の生活に耐えていた。

私が壁の写真を撮るために何度も立ち止まるので、教授は私を、「他の人が誰も見向き
もしないものばかりを撮影する偏屈な旅行者」と思っていた。ところがそのうちに、有
名な中世の建物のところに出たので、私はそれもカメラに収めた。すると教授はすっか
りわけがわからなくなってしまったようで、「なんて変わった人を案内しているのだろ
うか」と、困惑しきった顔をしていた。

夕方、大学に戻り、友人の部屋で数人の教授達とお茶を飲んでいたのだが、その時友人
が、「ラヴ神父が美しいスライドを持っていますので、皆さんにもお見せしたい」と、
言い出した。それでその部屋の壁は、突然にニューヨークの壁に変わった。しかし私が
ここで知り合ったばかりの人々は、何が美しいのか、まったく理解できなかった。

それでも、私がその部屋にいる間は礼儀正しく振舞っていたが、私が部屋を出たとたん
に不満が爆発した。「いったい彼はどういうつもりで、あんなものを美しいと言ってい
るんだ? あれは我々の美的感覚を侮辱するものではないのか」と。

彼らがどんなに憤慨していたかを、あとで友人が笑いながら話してくれた。こういう美
しさは、学問好きのむつかしい人々の目には見えないようだった。

「あなたはこれらのことを学者や知者に隠し、ちいさな人々にあらわしてくださいまし
た」という、福音書の言葉が思い起こされる。キリストが幼な子のようにならなければ、
神の国に入れないだろうと言われたが、きっと、こういうことを思い浮かべておられた
のだと思う。

さて、ニューヨークやヨーロッパで見つけたさまざまな美しい壁の作者である子ども達
は、色、形、そしてそれらが作り出す空間や壁面のおもしろさに魅せられていたのだろ
う。彼等は自分たちの住む世界を新鮮な気持ちで受け入れ、常に新しい目で見つめてい
るのだ。

 (「ひろば」75年春号より抜粋)

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